今までの日記です。
10月15日から新しい日記で更新致します。

2005年10月15日(土)
豊かさを引き寄せるオーラ

パン!パン!パッパパ〜〜〜ン!!! 電話線がつながりました! ヒャッホ〜ォ!こんな当たり前のことがとても嬉しいです。結局、別の老舗の電話会社(BT)が三日前に来て、二時間で接続していきました。
  と書くと、なんでもっと早くその会社に頼まなかったのか、と思われるかと思いますが、あまい、あまい。BTに電話したときに、早くて一ヵ月後と言われ、そのとき危うくじゃぁいいです、と言いそうになったところ、念のため頼んでおいたのが幸いしました。もちろん、イギリスは共産圏じゃありません。(イギリスにお住みの皆さん、ntlは避けましょう。)

さて、話題をがらっと変えて、お金の話です。社会の大多数の人がお金がもっとあればと願っていることでしょう。お金持ちになる本などが、よく売れているようです。お金がもっと入ってくるようにするためには、お金に関しても自分のオーラを変えたほうがぐっと効果的です。そこで、今回、次回とお金が入るオーラのコツをご紹介いたしましょう。
  お金に関しては、多くの人がいろいろな違った「信念」を持っているようです。例えば、

     お金の話をするのは、はしたない

・  私はいつもお金に苦労する人だ。

     お金もちはみんなある程度悪いことをしている。

     お金を持ちすぎるとかえって不幸になる

     こつこつ働かないと、お金はたまらない

     節約しない人はダメな人。

     お金を蓄えないと将来困る

     好きなことをしながら、お金が入ってくる人はわずか

     私はどちらかというと損するタイプ

     貧乏になっら、自分はもうダメ。絶対になってはいけない。

などなどです。お金にまつわる「信念」は、これもたいてい育った環境からきています。例えば、「ちゃんと大学でて良い仕事につなかいと、まともな暮らしはできないよ」、「自営業は、浮き沈みが激しいから、公務員になりなさい」、「家はお金がないから、無駄遣いは一切できないからね」、「〜〜さんの家は、銀行員だからいいわね、それに比べて家は・・・」、「お父さんは、ほうとうは音楽の道に行きたかったけど、お前たちがいたからあきらめたんだ」などなど、自分が育った環境で、親がお金に対してどんなことを言い、どんな態度をしていたか(安いスーパーを駆け巡っていた、タクシーには絶対乗らない、または派手に使って、破産した)かによって、私たちのお金への信念、態度はほぼ形成されます。

とくに親がお金への不安や不満を抱えている環境で育つと、自分が豊かになれるという実感がなかなか持てません。それよりも、いつも不安が先行し、「なるべく節約しよう」という態度になったりしてしまいます。

私は、ちょうどもの心がついたとき、祖父の会社が倒産し、父が借金を負ってしまい、私は裕福な会社の社長の孫から一気に、文字通り家も車も債権者に取られ、住むところを転々とする状態に鳴ってしまいました。中学校ぐらいから一応人並みになってきましたが、家中に「節約」のスローガンはってあるかのような雰囲気のなかでずっと育ったのです。

そのため、ほんのちょっとした贅沢をしただけで、罪悪感でいっぱいになったものです。詳しくは書きませんが、このほかにもいろいろお金に関しては、ネガティブな思いや感情をもっており、お金に関してはだいぶ混乱していたものです。今でも、100%ポジティブになれたというわけではありませんが、少なくとも将来への不安がまったくなくなったのは、大きなことです。

さてこのテーマにご興味のある方、今週の宿題です。まず紙に、自分がどんな思いをお金に対して持っているか、普段どんな行動をとっているかを(メニューを値段で決めているなど)書き出してみましょう。またそれらの思いや行動が育ってきた背景のどこから来ているのかできるだけ探って見ましょう。次週に次のステップをご紹介します。

2005年10月8日(土)
近所からスピリチュアルワールドへ

まだ、電話線がつながっていません。状況は混迷を極めてきました。誰もどうしたら良いか分からないようです。そこで、“電話はというものはこの世にないごっこ”を一人ですることにしました。

日本に国際電話がかけられないのと、みなさんのメールにすぐ対応できないことが大変不便ですが、ほんの十年前までは、すべて手紙でやっていたわけですから、それを考えると古き良き時代、スピードがもっとのんびりしていた時代に舞い戻ったようでそれなりに楽しいです。

それに、歩いて3分ぐらいのところに自分のパソコンを持ち込んでインターネットにつなげるお店を見つけました。なんで今まで気がつかなかったかというと、お店のガラスに鉄格子が張りめぐり、また看板が青いビニールとガムテープで無造作に覆われているので、休業だと思っていたのです。

ところが、何気なく覗いてみると、なかでコンピューターに向かっている人が数人おり、また、ドアに貼ってある雨に塗れてほぼ読みにくくなった紙に、インターネット1時間1ポンドと書いてあったのです。

中に入ってみると、店主からお客さんまでみんな黒人さんばかりで、なんとなく浮いているかも私と思いながらも、話しかけて見ると、やっぱりインターネットショップだったのです。ただ難点は、営業時間が店主フランクリンの気分次第なことです。行く前に電話で営業しているか先に確かめておかないといけません。そして、もちろん土、日は働きません。それは、どうもこの国の個人営業者のあいだでは当たり前のようで、Humanity Teamのパンフレット作成を頼んだプリント屋さんのトニーも、ときどきお昼には店じまいをしてしまいます。先日も木曜日の午後に携帯に電話してみたら、背景の音から明らかにパブにいるようでした。

また、以前カーペットを頼んだときも、朝9時に工具以外に浮き輪(みたいなもの)も持ってきていたので尋ねてみると、“てやんでい、こんな天気の良い日は、仕事なんかさっさと切り上げて、プールだってんだい”(下手な江戸っ子弁ですみません。彼らの英語の雰囲気をだしたかっただけです。)と口笛吹きながら帰っていきました。が、はずしたドアを元に戻し忘れていました。

そんなわけで、あまり仕事に関しては信頼できないのですが、彼らの良いところは、なんといっても人懐っこいところです。私はそんな人々が多く住む通りに住んでいるので、先日も近くのお店で牛乳を買おうとしていたところ、最初は酔っ払いかと思った男性(酔っ払いではなく、ただ声が大きい人でした)が、急に“あっ、〜〜通りの××番に引っ越してきた人でしょう!ぼく同じ通りに住んでいるんだ。僕がジャマイカにホリデーに行った3週間前ぐらいに引越してきたんだよね。ハイ、僕はダニー、よろしくね!”みたいなのりで話しかけられました。

基本的に東京育ちの私は、見知らぬ人(ご近所さんですが)が私がいつ引っ越してきて、どこに住んでいるかを知っているということにかなり新鮮さを覚えました。しかし、ひとつだけかけてもよいのは、絶対彼らは私のことを中国人だと思っているということです。きっと、“××番に、中国人が引っ越してきた”と近所で連想ゲーム的に伝わっていると思います。別にいいけど。

また、隣のシャロンは、“二軒先から大きな怒鳴り声とか聞こえてきても驚かないでね。”と教えてくれました。まだそこにどんな人が住んでいるのか私は知りません。ロンドンの中心から電車で25分、決して田舎というわけでもなく、普通のあまりに普通のなんの特徴もない(近くの大公園を除けば)ところですが、新しい土地で声をかけられるのは、なんとなく嬉しい気持ちになります。

眠くなるような当たり前の日常のなかにも、小さな楽しみや美しさがあり、それを感じることができれば、たちまちスピリチュアルな世界へのドアが開きます。そしてそのドアをあなたが開けたかどうかは、スピリチュアル・ガイドやエンジェンルには、はっきりと見えます。これも彼らとのパイプを太くする一つの方法ですね。ドアが開いている時間が長く多いほうが、彼らも助けやすいですから。

苦しいときに無理やり苦しさを押さえつける必要はありません。ただ、どんな状況でも、あっきれいだな、あっ、素敵だなと思える事柄が必ずあります。そんなとき、私はドアを開けているんだぁと思うと良いかもしれません。

2005年10月3日(月)
洞窟からでる

ロンドンも寒くなってきました。日本はいかがでしょうか? そして、まだ電話線はつながっていません。電話がある人がとても羨ましいです。

昨日は、お薦めの本コーナーでトップでご紹介している、「神との対話」の著者、ニール・ドナルド・ウォルシュさんの講演会に出かけていきました。一応、Humanity Team(この本に感銘して、いろいろな分野で社会貢献しようという人たちの集まり。日本にもあります。宗教団体ではありません。それは本を読めばもっと分かっていただけるでしょう。)のメンバーとして少しお手伝いもしました。今日も夕方からお手伝いにいきます。

この本の内容はとても深いので、要約することは不可能ですが、この本から私は、私がここにいる理由、人間関係、健康、愛について深く学ぶことができました。

恐らく同じような感覚を抱いたことがある人は、私以外にもたくさんいらっしゃると思いますが、小さい頃から漠然と、「私が帰るほんとうの家があるんじゃないか」「人が生まれ、なんとか人生をそれなりに過ごし、死んでいくこと以外にもっと何か重要なことがあるんじゃないか」という感覚がありました。

大学一年生のとき、そんな思いから、哲学の授業を取ってみました。なんでここまでというぐらい分かりにくい哲学者の文章に辟易しつつも、一つだけ心に響く考えがありました。それは、プラトンの洞窟の比喩です。ここで溝口あゆか解約でご説明いたします。

プラトンの基本的な考え(ソクラテスも)は、私たちはみな「善なるもの」から生まれてきた魂であり、何度も生まれ変わりを繰り返すことによって、魂がどんどん純粋な善となり、ついに生まれてきた場所に帰るというものです。

そして、洞窟の比喩とは、「しかし、私たちはそれを忘れていて、それは、洞窟の中に光に背を向けて、両手を縛られて座っているような状態である。だからまず、光に気がつき、そちらに歩んで行くことが大切だ」というものです。

教授が「生まれ変わりを繰り返し、魂が浄化され、善なるものになる」説明したとき、机に顔がつきそうなぐらい眠かった状態に、カーンと鐘が鳴ったかのように一瞬にして目が覚めました。そして、これが本当の話しだったら、なんて素敵なのだろう・・・と思ったのです。

さて、昨日の講演会では、言ってみれば、私たちはあまりに長い間、暗闇の洞窟の中で暮らしすぎた、もうそろそろ光に目を向けて、一緒に歩みだそうというものです。世界的なレベルでは、戦争、自然災害、テロなど、個人のレベルでは、悲しみ、苦しみ、または「自分など生きる価値がない」という絶望感など、そういったものから抜け出していこうというものです。

そのためにまず私たちは、自分がほんとは愛である魂の存在であること、みんなつながっている(だから、争いは無駄)とういこと、自分と世界を癒して行くことをより多くの人が始めていこう、というものでした。そのための方法は、ごまんとあり、最近では精神世界のコーナーも充実しています。ちなみに拙書「愛されるオーラになるスピリチュアルな方法」もそのお役に立てればと思い、書きました。

善になる、光になる、愛になるとは、本にも書きましたが、善行を積むということよりもむしろ「自分を愛する」ことだと私は思っています。ほんとうの意味で自分を愛している人は、人に害を与えることは決してしません。自然と愛をもって人に接することができます。また嫉妬する必要も自分の存在価値に不安になったりする必要もありませんから、心も平和でいられます。

  ですから、自分を愛せれば、自然と無理せず善行が積めるようになると思うのです。ということで、もし、今疲れていたり、行き詰っていたり、落ちこんでいたりしていたら、まず、目をつぶって光に向かって顔を向けている自分を想像してみましょう。

そして、「私の苦しみ(悲しみ、などなんでも)に光を当ててください。」と頼んでみましょう。光に目をむけ、つながりを持つこと、これが小さいようで大きな癒しの一歩ですね。

2005年9月23日(金)
みんなユニーク

信じられませんが、まだ電話線がつながりません。今日は、大家さんの家でこれをアップロードしています。工事に来る人が来なかったのです。これはよくあることですが、3回目となるとこの国でも普通ではありません。ところが、あるミーティングでこの話をしたら、その人は5回予約して、5回来なかったそうです。そして、ついにあきらめて、他の電話会社にしたそうなのです。う〜ん、不安。電話口だけでの演技では、工事の人まで通らないので、もう、こうなったら笑って過ごすしかありません。

さて、電話工事の件を除けば、新しい土地は人々がロンドンよりもフレンドリーだなぁと実感しております。一応通勤圏ですし、25分でロンドンブリッジの駅に出るので、それほど田舎でもありません。それでも、近所の人とのコミュニケーションがあり(ロンドンでは、ほとんどありまえんでした)、銀行でも行員のお母さんの横に娘がちょこんと座ってお金を一緒に数えていたり(間違っていなければ良いのですが・・・)、なんだか全体的にのんびりしています。ほとんどの人がワーキングクラスの英語を話しているので、地域としては決してハイクラスではありませんが、心地よく暮らせそうです。

お店の数もうんと少ないですが、これも将来田舎暮らしに備えての練習です。ほぼ東京で育った私としてはチャレンジですが、最近どんどん物質欲がなくなり、それよりも新鮮な空気と緑のなかにいたいと思うのです。

イギリスも最近では、人々の購買欲が非常に高まり、この2,3でクレジットカードの借金を抱える人の数が倍以上に増えているそうです。購買欲が高まる裏には、単純に贅沢がしたいというだけでなく、「私もみんなのようにしていないと、仲間はずれになる→不幸になる」といった心理も大いに働いているでしょう。

本のタイトルは忘れましたが、この心理を分かりやすく書いた本がけっこう話題になりました。新聞によるとその内容は、「自分の本当の欲求と、メディアによって操作されている欲求の違いが分からない人が多い」といったもののようです。

日本は集団主義の国なので、この傾向がさらに強いでしょう。これとあれは持っていなければダメ、これぐらいできなければダメ、などなどです。例えば私の友人は、お風呂掃除が大嫌いなので、お風呂なしの部屋を借りることにしました。銭湯に行けば、お風呂掃除は銭湯の人がやるし、その上家賃はぐんと安いし、と本人は満足していました。ところが、彼女の友人から「30半ばにもなって、お風呂なしの木造アパートの住むなんて、なんて惨めなの」と同情されたそうです。大きなお世話ですが、雑誌なので素敵な家具つきのマンション暮らしの〜〜さんなどが紹介されるので、私たちは自然と、「こういう暮らしをしていれば、人から受け入れられる」などと思うようになってしまいます。

私は東京での仕事を辞めた後、収入がなくなったので、それまで生活のレベルをぐっと下げることにしました。今まで買っていたものをあきらめたり、もっと安いものに変えたりしていたのです。すると、ある友人に「生活のレベルを下げて、落ち込まないの?」と聞かれました。しかし、私はストレスまみれの仕事から解放され、新しい人生が始まることにワクワクしていましたので、「へっ?」と思ってしまいました。また、「私が、あゆかさんみたいな経済状況だったら、すごく落ち込むと思う。すごいよね」と褒められた(多分)こともありました。私はそれを聞いて、「落ち込む人もいるのか、逆にかわいそうかも」と思いました。とういうのは、幸せになりにくいだろうなと思ったからです。

  こう書いているからといって、決して贅沢はよくないとか、適当なレベルに甘んじろと言っているのではありません。ほんとうに自分が心地よいという状態であれば、周りがどう見ようと、それで自分の幸せ感を減らすことはないんじゃないかということです。また、これが欲しいと思うとき、それがどれだけ周りの目を気にして、そう思っているのか一度振り返ってみるのも良いかもしれません。

私たちは自分が抱えている問題も含め、みなユニークな存在です。みんなと一緒である必要はありませんし、周りと同じようにやっている必要もないでしょう。こうやって自分のユニークさを大切にし、愛することも「愛されるオーラ」になる方法の一つですね。

2005年9月17日(土)
電話線と演技力

今日のロンドンは、秋晴れという感じです。さて、まだ、電話線がつながっておりません。これも友人宅でアップロードしています。事の経過は、まずつないでくれることになっていた日に来た人が、道路工事もしないとつなげられないと言い、道路工事の予約は、二週間から四週間先と平気で言い放って帰っていきました。

とんでもない!とい電話会社に連絡し、なんとか少し早めに来てもらうことにしたのですが、工事に来た人が、もう一日来ないと終わらないと言い、明日も来るからねぇと言って、Vサインまでしたくせに、次の日に現れなかったのです。で、そのあと音沙汰もなく数日が過ぎ、たまりかねて携帯から電話したところ、“私たちのデータでは、もうお宅は線がつながっています”というので、いや、そんなこといってもつながっていません、と言うと“でも、つながっているとなっています、”と相手は言い、そこで、つながっている、つながっていないと言い合いになり、電話の応答相手が、“これは「紛争」というカテゴリーで処理しますから、監視役から電話をするようにします。”と電話を一方的に切ってしまいました。

“紛争”? 自分のミスを棚に上げて、紛争にするとは厚かましさ100%だ! あぁ、だからイギリスは面倒だ、日本がなつかしい・・・、日本だったらこんなことありえない!のにとにわか愛国者になってしまいました。しかも、その監視役とやらからは、まったく電話などかかってこず(これもイギリスでは当たり前)、また翌日こちらからかけ、紛争じゃなくて、たんに電話線をつなげて欲しいだけだと訴え、ようやく今度は、設置部門のマネージャーから48時間(!)以内に電話させます、という約束になりました。それが今日なので、あと48時間、本当に電話がくるかどうかどきどきしながら待つしかありません。

大家さんにも(というか、これは始めから大家さんの仕事だと思うので)電話会社へ連絡して欲しいと頼み、大家さん曰く“電話口でどなったから、今度こそかかってくるだろう”とのこと。

そうなんです、どならないと動かないんですね。私の友人のなかには、握りこぶしで机をバン!とたたいた、やってくれないとここに居座るぞ、とほんとうに居座った、などなどして、やっと本来得るべきサービスをしてもらった話を聞いています。

どうもこういう手は効くようですが、もう一つ私が実践している手があります。実はこの電話会社でも、言い合いの紛争のあとに使っている手で、確実に前より応対はよくなっています。それは、相手に“それは、困っているだろう、なんとかしてあげよう”と思わせる手段です。

また相手があきらかに悪い場合は、罪悪感(良心の呵責)を刺激する手も使うことがあります。これも効果大です。これで私は、不動産手数料をまけてもらいました。どうやっているかというと、いつもの手です。相手を責めずに、自分の感情を言う、とても困っている、悲しい、と少し泣きそうな声で言う、また電話でなければ、相手の目をじっと見つめて、“私は悲しい・・・”という表情をめいっぱいします。
  これは、とくに相手が男性のときに効果があり、“泣かせたらどうしよう、やばい、なんとかしなきゃ”という声、表情になるのが分かります。

ちなみに一番良くないのは、いくら本当のことでも、相手をひたすら責めることです。“お前は、カスタマーのことをまったく考えていないし、平気でうそつくし、間違いだらけの癖に、居直るし、能無しだ!!! ツー、ツー、ツー、ハロー、ハロー!” 電話口で怒鳴っていた私の友人は、相手に電話を切られ、また最初からかけ直す羽目に。

前にも日記で書きましたが、相手を責める怒りのエネルギーは、相手の抵抗を強めるだけなので、それがいくら正当でも、ものごとが進みません。なので、私たちがやりがちな“なんで、あなたは、あなたは・・・なのよ!!!”と叫ぶよりも、自分の気持ちを言うようにすると良いですよ。

それにしても、イギリスでまともなサービスを受けるためには、多大な努力と忍耐力、そして演技力が必要なようです。

2005年9月3日(土)
自然災害と貧富とエネルギー

皆さんもご存知の通り、このところずっと世界では、自然災害続きです。新潟の震災、インド洋の津波、ヨーロッパ各地の洪水、ポルトガルの高気温、そして今回のニュー・オリンズのハリケーンです。

昨日のテレビの特集番組では、これらの天災が、人工的なものなのか、純粋に天災なのかを検証していました。つまり、地球温暖化のために、自然のサイクルがバランスを崩しているのか、もともと地球は天災が昔からあったのが、今でも続いているだけなのかということです。番組では、結局両者の言い分を報道しただけで、どっちだという結論は避けていました。

私個人の考えでは、その両方だと思うのです。もちろん、自然災害は太古の昔からありましたが、地球の気温が少しでも高くなれば、今までの自然のサイクルに変化が起きるわけですから、その影響がないわけがないと思うのです。ロンドンもここ10年で平均気温が2度上がったそうです。また、多くのイギリス人が、昔は、夏はこんなに暑くなかったと言っています。

しかし、今回のニュー・オリンズの場合は、日本でどんな報道になっているのか分かりませんが、こちらで聞いている限り、人災でもある気がしました。つまり、ハリケーンの警告は事前にされており、お金に余裕がある人々は非難できたけれど、お金のない人々はどこかに行くお金もなく、居残るしかなかったということです。

また、このような災害を防ぐはずに作られた防波堤(?日本語でなんというか分かりません)の修理予算費が、9.11のせいでテロ防衛の予算費に回ってしまったため、まったく用をなさず、被害がここまで大きくなってしまったということです。また、水が人々に支給されない様子を、こちらのテレビの報道では、しきりに“この様子は、まるでどこかの発展途上国のようで、とても世界で一番金持ちの国は見えない”と繰り返していました。

世界一豊かな国で、防波堤を修理することもできず、またハリケーンのあと何日も水を支給することができない。確かに何かがおかしいと感じられずにはいられません。しかし、世界一豊かな国といっても、アメリカぐらい貧富の差がひどい国もないと私は思います。

前にアフリカへの助成金は、返済を求めず、あげてしまっていいじゃないかということを書きましたら、返済してもらわないと不安というお声も頂きました。

「誰かに富を分け与えると、自分の持分が減る」という考えが、結局「富の独り占め」をよび、「貧富の差」を生み出しているのでしょう。しかし、これは宇宙の観点から見れば、まったくのでたらめです。富は無限にあり、ある決まった分量を私たちが取り合っているのではありません。

富とかお金って究極的には何でしょう? それは再三書いていますように、エネルギーです。エネルギーが私たちの考えや行動によって、お金、富という形で実現されるのです。エネルギーは宇宙に無限にあります。その無限の資源を私たちの思考と行動で、物質化すれば良いわけです。といっても、魔法のように宙からものを取りだすということではなく、「私は、宇宙の無限の資源を使って、富を得、富を分かち合う」という基本の考えを持つことです。(今度お金、富について詳しく書いてみたいです)

自分がお金持ちでいるために、誰かの持分を減らさなくても良いことをブッシュさんをはじめ、多くの権力者が信じ、「we are all one」(みんなつながっている=わたしたちは、同じ源から生まれた無数の魂同士)という考え(私にとっては真実ですが)を知れば、富の集中ということはなくなるでしょう。

自然災害の話から、富の話しになってしまいました。が、すべては愛を基本につながっていると書きましたように、「分かち合う」行為は、愛です。そして、「分かち合える自分」を信じる行為も自分への愛なしになりたちません。テレビの放映を見て、心を痛めているみなさん、すぐにニュー・オリンズに飛んでいけなくても、どれだけ今日自分を見つめたか、自分を愛せたかを振り返るだけで、地球全体の波動を高めることにとても役立ちます。そして、それは地球全体の癒しと愛の波動になりますから、間接的なようで直接的な貢献になります。

「世界で苦しんでいる人々、絶望している人々、そして怯えている子供たちに宇宙の愛と癒しを」

2005年8月28日(日)
新刊発売!

さて、じゃん! 再三申し上げていました通り、また新しく本が出ます! タイトルは、

「愛されるオーラ」になるスピリチュアルな方法

・・・「運命の人」と幸せになる・・・(大和出版)


です。再び「大和出版」さんから出させて頂きました。9月上旬には書店に並ぶ予定です。私はまだ表紙カバーを見ていないのですが、今回は「ひまわり」の絵だそうです。仕上がりを見るのが楽しみです。

ちなみにタイトルは、出版社が決めるということをご存知でしたか? 私はそれを知らなかったので、前回は「だれも一人ぼっちでない」というタイトルをつけていました。が、ご存知の通り、まったく変わりました(笑)。ので、今回は最初から出版社さんにおまかせしいたしました。

さて、タイトル通り、「愛される」オーラがテーマです。私たちは、なかなか自分がどんなオーラを醸し出しているか自分自身では分からないものです。ところが、その私たちが醸し出しているオーラ次第で、人から愛されたり、けむたがれたり、ものごとがスムースに行ったり、抵抗にあったりします。

自分のオーラ(無意識に醸し出している雰囲気、無意識の思考や感情)に気がつけば、ものごとが劇的に改善されます。
  私自身の経験から、ほんとうに人生が上向きになってきたのは、オーラのレベルで自分が変わり始めたときからでした。オーラは、意識的に変えることはまずできません。無意識のレベルを見つめて、そこから変わっていかない限り、本当の意味で人生のデザイナーにはなれないでしょう。

人生には、さまざまな出来事が降りかかってきます。運がいい、悪いなどと言いますが、日記でも再三書いているように、どの出来事も自分が引き寄せているんですね。もっと言えば、自分のオーラが引き寄せているわけです。
  ですから、自分にとって好ましくないことが起きてしまったら、自分がどんなオーラを持っているから、そうなるのかを探り、変えていけば良いわけです。自分にとって好ましい状況を引き寄せるのも同じことです。

今回の本も、恋愛がテーマになっていますが、やはり、人生に信頼をもって愛を交換できる人がいるかどうかは、とても大きなことです。それはもちろん、“私はなんにもしないで、ただひたすら愛されて楽チン”というタイプの愛ではなく、信頼と尊敬をベースに育くんでいく愛です。最終的に二人がどうなろうと、その過程は、かけがえなく素晴らしいものだったという愛ですね。

二人の不完全な人間が、そういった愛を育てるには、やはり一段階深いレベルで自分をよく理解できていることが大切でしょう。理解は、イコール愛です。深いレベルで自分を理解すれば、深いレベルで自分を愛せます。そうすれば、一段深いレベルで他者を愛せるようになるんですね。

それは、楽しい、嬉しいというだけでなく、宇宙の愛にもさらに近づき、深い安心感ももたらしてくれます。

さて、恋愛がテーマですが、オーラを輝かす方法をほんとうに実践すれば、人生全体が改善されて行きます。すべてのこと、恋愛意外にも、仕事、人生の目的、お金などなど、すべては根本的に愛につながっていますから、愛されるオーラは、幸せオーラでもあります。

そして、愛されるオーラが世界に増えれば、あなたが幸せになるばかりでなく、世界平和にもつながります。みなさん、愛されるオーラを一緒に磨きませんか?

2005年8月19日(金)
人生のデザイナー

ロンドンの今日は、気温14度、雨がひどく降っております。本の執筆終わりました!詳しいお知らせは、来週HPで発表します。とりあえず、今日からホリデーです。といっても、どこか行くわけではありませんが、しかも、野暮用が山ほどたまっています。

例えば、私は自分のフラットを今貸し出しており、今度入居するテナントさんのために、家具を一緒に買いに行くとか。そうなんです。イギリスのフラットは、家具付きで貸すことが多く、家具なしでも、冷蔵庫や洗濯機は必ずあります。

日本と違って、礼金、敷金というのがなく、たいていは、一か月分の家賃をデポジットとして払うだけです。ですから、家具つきのフラットに入れば、引越し費用は比較的少なくてすみますが、ただ、家賃が高いです。東京と比べても絶対高いです。みんなどうやって暮らしているの?と思うぐらいです。

さて、じゃぁ、私はどこに住んでいるのかというと、自分のフラットを貸し出して、その家賃収入に少し足して、ロンドン郊外に一軒家を借りることにしました。小さな一軒屋ですが、近くに広大な公園があるのが大変気に入りました。また、郊外といっても、ロンドンのセンターまで電車で30分なので、通勤圏内でもあります。

いずれは、もっと田舎に移って、一軒家を購入したいと思っています。さて、そうなると田舎、つまり人口の少ないところでも収入が入るという体制に自分を持っていかなければいけません。

よく多くの人が、〜〜したいけど、それだと〜〜だし・・・、と考え、なかなか実行に踏めなかったりします。私もだいぶそのけがありましたが、そう言っている限り、自分の理想の生活スタイルにはつながらない、と今回思い切ってとりあえず、少し郊外に出ることにしました。

そうできるのも、東京で仕事を辞めたとき、“もう二度と雇われの身にはならない、フリーで一生食べていく”と決心した後、どうにか実現しているという体験があるためかもしれません。

保証のない未来を信じるのは、やはり今でも少しどきどきします。しかし、自分と宇宙を信じてここまで来ましたので、やっぱりこれからも信じて行きたいと思っています。とはいえ、何度も途中で疑ったりしましたが・・・。しかし、疑った後でも、結局いつも信じるほうを選んできました。

そうしているうちに、信じて大丈夫だった体験が増え、今回の引越しなどは、だいぶ簡単に決めることができました。私たちが好きな道を行こうとするとき、それが、銀行に勤めるなどでしたら、問題ないのですが、そんなことで食べていけるだろうか?というものもよくありますね。

また、収入減になって、今の生活レベルを維持できない不安というのもあるでしょう。砂漠の真ん中で、レストランを開くとかいった極端なものでない限り、ある程度需要のあるものでしたら、仕事の内容よりも、私たちがどこまで自分と宇宙を信じられるかだ、と私は思っています。

ものが実現する前はすべてエネルギーということは前に書いたと思います。エネルギーは無限なうえに、私たちがイメージするそのままを生み出してくれます。

例えば、頭で、この仕事では、〜〜程度しか稼げないから・・・と決め付けると、その現実がそのまま生まれるというわけです。私たちは、現実があって、それを見て判断していると思っていますが、実は反対なんです。私たちが考えて、それが実現化しているんです。

ですから、私たちは自分の人生のデザイナーなんです。どんなふうに自分の人生をデザインするか。ちょっと考えてみませんか?

2005年8月6日(土)
笑いセラピー

現在、次の本の最終の詰めに入っており、私も編集者さんもまだホリデーには行けません。来月には発売になるでしょう。楽しみにしてくださいね!!

ということで小話を一つご紹介して終わりにします。先日、テレビのコメディ番組で聞いたものです。

男:“リインカネーション(生まれ変わり)って言葉聞いたことあるか?”

女:“ううん、知らない”

男:“次に何か違うものに生まれ変わるっていう意味だよ”

女:“え〜っ、例えば、私が豚に生まれ変わっちゃうとかぁ?”

男:“だから、違うものに生まれ変わるって言っただろう”

私にはけっこううけたのですが・・・・。

これで終わりにしようと思って思い出しました。この間テレビで、インドからきた笑いセラピーというのを朝のニュースで紹介していました。レポーターがそれを実践しているグループのところへ行き、実演してもらったところ、笑える、笑える。

10人ぐらいの人が、不思議なジェスチャーをしながら、ものすごく不自然な笑い声を同時に発するのです。その10人がいかにも普通の一般人でそれを大まじめにやっていることもおかしさを増し、レポーターさんはインタビューができないぐらい、うずくまって誰よりも苦しそうに本気で笑っていました。

が、実はお茶の間の私もソファにうずくまって笑い転げていました。映像でお届けできないのが残念です。あれは、やる本人より見る人のほうが絶対笑えるセラピーでしょう。基本的にコンセプトは、やる人が癒されるはずなのですが。

ベティ・シャインという有名なイギリスのスピリチュアル・ヒーラーの本に、テレビを見ながら笑っている人たちからは、とても良いオーラがでていると書かれていました。だから、癒しにユーモアは欠かせないということです。

これは、皆さんも直感的にそうだなと感じるでしょう。ということで、インドの笑いセラピーを是非実践して・・・と言いたいところですが、覚えていません。なんとなく思うのですが、なんでもおかしなことをやって笑っていれば多分同じ効果があると思います。

ですから、とりあえず今すぐできることとして、

1)  鏡に向かって一人でおどけてみる(←家人には、瞑想をしていると言っておくこと)

2)  この一週間にあったおかしな出来事をもう一度思い出し、また笑ってみる

3)  自分の顔の写真の上に落書きをして、変な顔にする(←これかなり楽しいですよ)

4)  友達の顔の写真の上に落書きをして、メールで送る(←笑うか怒るかの二つに一つ)

などなどいかがでしょう? では、笑いある楽しい休日を!

2005年7月30日(土)
どの思いにエネルギーを注ぐ?

先週のテロが未遂に終わったため、警察は、きっと今度こそ完結させようと、また必ずやるに違いないと言っています。そのせいでしょう。警察があちこちにうじょうじょおり、家につくと、とりあえず今日も無事だったと思ってしまう今日この頃です。

にもかかわらず、みんなが普通に仕事や遊びに行っているのは、“私にはそんなことは起こらない” という根拠のない自信でしょう。私もそんな自信がありますが、臨死体験をしているせいもあり、死ぬこと自体はぜんぜん怖くないので、痛くなければいいやと思ってもおります。

しかし、先日ニュースでテロの犠牲者の遺族の方のコメントを聞き、びっくりしてしまいました。亡くなった方はイスラエル人のお嬢さんで、お父さんがテレビのインタビューで、“彼女はバスの自爆テロをとても恐れていて、イスラエル(今とても自爆テロが多いですね)に帰るのをずっと延期していた。”というのです。

バスの自爆テロが怖いから、イスラエルに帰らなかったのに、ロンドンでバスの自爆テロに遭ってしまう、なんて皮肉なのなことでしょう。これは偶然でしょうか?

ポジティブ思考もそうですが、私たちが長年にわたって抱いている思考は、それを現実化させる力があります。力がありますというより、これはある意味物理の法則ですね。そうなってしまいます。

思考も感情もエネルギーです。例えば、頭の中でなにかイメージしたとします。それは、まだ現実化はしていませんが、エネルギーのレベルではすでに出来上がっています。そして、そのイメージを持ち続けるということは、その出来上がっているものに、毎日水を注いで育てているようなことです。

そして、いつかエネルギーのイメージが、物質化し、現実化していくわけです。アインシュタインは、物質とエネルギーは交換可能(interchangeable)といいましたが、文字通りすべてエネルギーが物質に、また物質がエネルギーに戻るということです。

つまり、考えたことが物質化(現実化)し、また私たちの現実や体もいずれまたエネルギーへ戻るということです。

さて、犠牲者になったその女性は、いつも頭の中に自爆テロの恐怖を描いていたわけです。そして、宇宙にはもう一つ、like attracts like(似たもの同士が引き寄せられる)の法則もあります。つまり、恐怖が恐怖をよび、しかもそれが漠然とした恐怖でなく、“バスの自爆テロ”というイメージのはっきりしたものだったため、彼女は今回のテロに巻き込まれたのだと私は思います。

私たちは普段無意識にいろいろな思考を抱いています。彼女のようなはっきりしたものでなくとも、例えば“私は、いつも損する側にいる”、“素敵な恋愛なんて無理かも”、“中ぐらいの幸せが私らしい”などなどです。漠然と無意識の中にこれらの考えが毎日あれば、当然そういった現実が自分の周りに出来上がってきます。

私たちは、毎日様々な雑念を宇宙に散らしています。ころころと気が変わったり、夢が変わる人は、エネルギーを注いだかと思うとやめ、またちょっと注いでみては、やめということを繰り返していることになります。ですから、考えたことが現実化しないか、または時間がとてもかかります。

しかし、毎日同じ思いを深いところでしっかり抱いていれば、それは必ず現実化していきます。そして、もちろんポジティブなことを現実化していきたいものですね。ただ、本にも書きましたが、そのポジティブ思考の根っこにネガティブな思いがないかどうかは、きちんとチェックしてみましょう!

2005年7月23日(土)
努力なしに生きる

お店のレジでお金を払っていたら、すぐそこで爆破がまたあったと店員さん同士が話していました。でも、今回は大事にいたらなくてよかったです。

  さて、私はいつも何冊かの本を平行して読んでいます。その中の一つに、「
The Art Of Effortless Living」(努力しないで生きる方法)という本を読んでいます。タイトルが気に入って買ってみました。

「努力しないで生きる」とは、決して「なまけて生きる」という意味ではなく、「人生は、努力して勝ち取るもの、さもなければ惨めな生活になる」というストレスと恐怖に基づいた生き方ではなく、「スムースに楽チンに、そして自分が輝く生き方」をしようというのがテーマです。

著者はニューヨークに住むアメリカ人ですが、アメリカも競争の激しい社会ですから、良い教育や資格、収入の良い仕事を得るために、人はだいぶ努力するようです。日本もその点は負けず劣らずストレスの激しい社会です。イギリスは両国よりは少しのんびりしているように感じますが、それでも新聞によると、イギリス人はヨーロッパで一番長く働き、一番ストレスが多いそうなのです。

さて私も東京にいた頃は、月によっては終電で帰る日々や土日出勤の日々を過ごしていました。今振り返ると、ものすごく体調も悪かったし、自分を振り返る時間というものはまるでなく、結婚もうまくいっていませんでしたので、なんとなく不幸感だけで暮らしていました。

忙しすぎると、どうしてもただただ日々が過ぎていってしまいます。フリーなので自分を暇にする(=収入が入らない)のは、けっこう勇気が要ります。しかし、それでも自分の時間をきちんと取ることは必要不可欠だと思っています。体調崩して、落ち込んでいるセラピストに誰も見てもらいたくないでしょう。

かつては働かずにボーっとしていると罪悪感にさいなまされてしまっていたものです。また「貧乏になってしまう」という恐怖もありました。ですが、自分の時間を確保しながらでも、充分に経済的にも回っていくし、何よりも自分が良い仕事ができると実感、体験をしていくうちに、大丈夫なんだという感覚のほうが強くなってきました。

努力型生活から、自分ペース生活に移行するときが一番不安で、“いいのかな?ほんとにいいのかな?大丈夫かな?”と恐る恐るかもしれません。でも、そこで自分と宇宙をどこまで信じられるかが試されるのだと思います。

日本はどちらかというと、根性主義みたいなところがあります。しかし、楽でスムースに、好きなことをして豊かに暮らすのがいいなと思ったら、まず最初のステップは、「それが可能なのだ」と頭だけでなく、体と感情でも「分かる」(信じるのではなく)ことでしょう。

では、試しに次の言葉を言ってみましょう。

「私は、ストレスや努力なしに自分の好きなことをやり、お金も入ってきます」

ええ、まさかあり得ない、努力しなくても大丈夫? なんか罪悪感が沸いてくる・・・などなどあった方、まだまだです。消えていくまで続けましょう。

注)ここでの“努力”の意味は、自分がものすごく疲れる、苦しい感じがするほどやるという意味です。

2005年7月16日(土)
テロ、パブ、エネルギー

先週は、お気遣いとテロのコメントを多くの方から頂き、ありがとうございました。皆さん深く考えていらっしゃっていてなんだかとても嬉しかったです。いつかお会いして話し合える機会があれば良いなぁと思いました。

さて、そのテロの日、ほとんどの会社は帰りの交通の便のこともあり、3時ぐらいには社員を家に帰していたそうです。(フリーランスなので何も知らない)ところが、会社勤めの日本人の友人によると、帰りの道すがらいつくものパブが、いつも以上に大勢の人で溢れかえっていたそうです。彼女のBF(イギリス人)もとりあえずパブに行ったとのことでした。

私はその日ラジオずっとつけており、“今いるところを離れないように、そこにいなさい”と繰り返し言うのを聞きいておりました。。。なのに!みんなパブに行っていたとは!
  もちろんパブがイギリス人にとっていかに大切な存在かは、ロンドンに来た当初から感じていました。とにかく数が多い。道案内で、パブの隣を右に曲がって、と行っても、どのパブ?と思うぐらい、通りに何軒もパブがあります。
  ちなみに私がバスでいつも前を通る、ロンドン党の近くにあるパブの名前は、“Hanging and quartered(首吊りにして四つ裂きにする)”です。ここもいつも人で溢れています。

あっ、話がずれていく。えっと、そうです。それで考えたのです。どうしてそんな日にまでみんなパブに行くのか?と。おそらく(超勝手な分析)、パブはイギリス人にとっていってみれば、“村の寄り合い場”なのでしょう。“てえへんだ!てえへんだ!おめえさんとこはどうだい!”とわさわさ村人が集まり、お互いの無事を確